“世界の台所探検家”という肩書きで、活動している女性がいます。世界各地の家庭の台所を訪れ、現地の方と一緒に料理をし、その体験を文章にして発表している岡根谷実里さん。
“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろ聞いてみるこの連載、第7回は世界を飛び回る岡根谷さんに、美味しいって何なのか聞いてみました。
岡根谷実里(おかねや・みさと)さん
世界の台所探検家。世界各地の家庭の台所を訪れて一緒に料理をし、料理を通して見える暮らしや社会の様子を発信している。講演・執筆・研究のほか、全国の小中高校への出張授業も実施。訪れた国と地域は25以上、150以上の家庭に滞在。著書に『世界の食卓から社会が見える』、翻訳絵本『世界の市場 おいしい! たのしい! 24のまちでお買いもの』など。
-僕、事前に岡根谷さんのことをちょっと調べてきたんですけど。岡根谷さんって「水」を研究されていたんですね。
大学院では工学部でインフラの勉強をして、その中で水の研究をしていました。水というと飲み物とか、工業に使うとか、いろいろありますが主に食料生産に使われる水資源を勉強していました。“ウォーターフットプリント”という最近よく言われる言葉があるんですけど、林さんご存知ですか?
-ウォーターフットプリントですか。すいません。全く知らない言葉です。
あらゆる製品や食料の生産・加工・流通などのライフサイクルを通じて、どれだけの量の水が間接的、かつ直接的に消費されて、汚染されたのかっていうのを定量化する指標なんですけど。
-あぁ、農産物とかが出来るまでに、どれだけ水が使われたか、水の足跡を調べるっていうことなんですね。そういう研究があるんですね。
そうです。それだけたくさんの水が使われているんだなっていうのを知ってびっくりするんです。
-そういう勉強をされているなかで、どうして“世界の台所探検家”になったんですか?
少し長くなるんですが、元々は土木工学の技術者として国際協力に携わりたかったんです。大学院在学時にインターンシップでアフリカのケニアに行く機会がありました。その時、自分が住んでいた村に大きな道路が出来ることになったんです。計画の全貌を知らされていない中で、「あそこの学校壊されちゃう」とか「あの市場がなくなってしまう」とか、村が騒然となりました。“道路を作る”って良い面もたくさんあるはずなんです。流通が発達することによって産業が活性化するし、農家も自分の作物を腐らせないで運ぶことができるし、国としては良いことがいっぱいあるんだけど、私の目の前にいる人たちは怒ったり、悲しんだりしていて。それを見て、「自分はこの土木工学の仕事を本当にやり続けたいのか」っていう疑問が生まれたんです。
-難しい問題ですよね。その後、クックパッドに就職されていますが、それはどういう方向転換があったんですか?
そのケニアの村で、怒ったり悲しんだりしている人たちが、必ず笑顔になるのが夕飯の時だったんです。ご馳走ってわけではないんですが、庭のカボチャの葉っぱをとってきて料理作ったりとか。でもこれが結構美味しい料理になっちゃうんですよ。「世界中の人が自分の手で作って、目の前の人を幸せに出来る料理の力ってすごいなぁ」って思って。それでクックパッド、ある種“食に関わる道”を選んだんです。
-通われていた大学院からクックパッドに就職するって、すごく異例だったと思うんですけど、料理やレシピが好きで入社したんですか?
レシピにそんなに興味があったわけではないんですけどね。その頃、クックパッドが海外進出をしていまして、「クックパッドをアフリカで立ち上げます」みたいなことを言って入りました(笑)
-そういう経緯だったんですね。それもすごいですね。
大きなインフラではなく、食という“自分の手で作れる小さなインフラ”から世界の暮らしを良くしたいと思ったんです。
-素敵ですね。その後、“世界の台所探検家”として活動するにあたって、岡根谷さんが“台所”を選んだ理由って何なんですか?
台所って人の生活の、家庭の奥の奥にあるじゃないですか。外からは見えないけれど、一番人らしくて、その人の価値観とか欲求とかいろんなものが表れてる場所だなって思ったんです。
-でも台所って、すごくプライベートな場所、神聖な場所だから、入っていくのって難しくないですか?
素直に「料理が好きなんです。一緒に料理を作りたいんです」って言うと向こうもその気持ちで受け入れてくれます。研究対象のように伝えてしまうと、「じゃあ国を代表する料理を紹介しなきゃ」とか構えられちゃうし、やっぱり相手にとっても良い時間であって欲しいから、「料理が好きな人がいくよ」って伝えてもらうようにしています。
-僕、バーテンダーをしているので、初対面同士の場合に相手からどういう印象を持たれるのか、っていうのがすごく気になるんです。世界のいろんな家庭に入っていくときに、やっぱり岡根谷さんの見た目の小柄で明るそうなアジア人女性っていうのはすごく大きいですよね。岡根谷さんの本でも書かれていますが、日本人って幼く見られるから、「子どもが来た」って勘違いされる方が、「大きい男が来た」っていうのよりも得していますよね。
それはありますね。例えば女性は入っていけない男性同士だけの集まりの中でも、子どもや外国人は大丈夫っていうのもありますし、守ってやらなければみたいな気持ちになってもらえることもあります(笑)
-言葉はどうされているんですか? 英語ですか?
本当はその国の言葉を覚えてから現地に行った方が良いのですが、たくさんの国に行くのでそれは難しいです。なので私は、現地で生活する中で少しずつ覚えるのに加えて、テクノロジーに頼っています。今はこのスマホが訳してくれますから。
-そういえば今はそれがありますね。僕のバーに来店してくれる外国のお客様も、日本語のメニューを自国語に翻訳して、「これ」って注文してくれることがあります。最初から最後までひとことも話さなくても成立してしまうんですよね。
言葉でコミュニケーションできることの限界はありますが、一緒に料理をすること自体も、いろんなことが伝わります。
-一緒に料理をするって、伝わりそうですね。外国を訪れる前に、あらかじめ検索して調べるという準備はどこまでするんですか?
最初はあえて調べないスタイルだったんですが、今は“この少数民族はどういう歴史があったんだろうか”といった文献は先に読んでおくことにしています。でも、そこに行った人のブログとかは読まないことにしています。
-よく飲食店で言われることなんですけど、食べに行く前にネットで調べすぎてしまうと、お料理が出てきたら、「インスタで見た写真と同じあれだ」っていう風に、確認作業になってしまって、驚きがなくなるらしいんです。そういうことを避けているってことでしょうか。
それもなくはないですが、どちらかというと「調べきれない」のが大きいです。情報を得すぎることの弊害はありますが、情報があった方が見えること、気づけることもありますよね。でも、「さぁ、この国のことを調べましょう」という気持ちで300ページある本を読んでも全然頭に入らないんです。やっぱりその場所に行ってはじめて疑問が湧き、知りたくなります。
-実際に行って体験するっていうのが大きそうですね。岡根谷さんのなかで国や地域を選ぶ時の基準ってあるんですか?
今回は冬の北欧に行きたくて。寒い国の寒い時期の食の知恵を知りたかったんです。というのは、夏にフィンランドに行って全てが最高すぎたから、「そんなはずはないだろう」と(笑) フィンランドに加えてアイスランドも行ったのですが、アイスランドは火山国であるとか、島国であるとか、高齢社会であるとか、魚を食べるとか……そういう日本との共通点が多くて、俄然興味が湧いたからです。あともちろん、現地につながる人と出会えたからです。全ては人と出会う縁ですから。
-この岡根谷さんの活動はどこに向かってるんですか?
日本の未来を生きる人たちに料理や食を通して世界に興味を持って欲しいんです。日本は島国なのでどうしても知るきっかけが少ない気がしています。世界にはこんな生き方があるんだって知ることで、もっと自由になれますから。
-岡根谷さんは、世界の料理のレシピも紹介していますよね。それってやっぱり研究だけというよりも、エンターテインメントとして読者に楽しんで欲しいっていう気持ちがあるんですか?
世界の料理をレシピ化するのって大変なんですけど(笑) やっぱり面白いって思って欲しいし、実際に作って食べてくれたらきっと食べる前よりもその国に対して興味をもってもらえるじゃないですか。
-本のなかではタイの少数民族の料理で味の素を使っていることを描写していますよね。そこで岡根谷さんは、「少数民族“なのに”味の素を使っている」とか、良いとか、悪いとかの判断はせず、描写するだけにしていますよね。そのスタイルをずっと貫かれていて、それはそう決めていることなんですか?
私は世界の文化に優劣をつけたり、何かを判断するのではなくて、「世界にいろんな文化があって、そういうのもありなんだ!」っていう、それを知った人の視界の地平が少しでも広がったらいいなって思っているんです。
-うわぁ。すごく面白いですね。僕もそのスタイルに賛同したいです。
さて、僕、ずっとバーテンダーをやってきていて、料理関係者の方によくこの質問をするのですが、好きな食材って何ですか?
ブロッコリーとカリフラワーです。
-えぇ? ブロッコリーとカリフラワーですか? あれって形が似ているだけで味も食感も方向性が全然違いますよね。どうしてですか?
理由はわからないです。外国から帰ってくると、ゆでただけのブロッコリーとカリフラワーがすごく食べたくなるんです。あとは蕎麦です。海外にいる日本人に「何が食べたい?」って聞くと、「日本の食べ物はほとんど手に入るんだけど蕎麦がないんだよね」って答える人は多いです。
-僕も蕎麦は海外に輸出できるっていつも思っていまして(笑) 出汁の鰹節をやめるだけでほぼヴィーガンに出来るっていう可能性も秘めているんです。あと蕎麦屋ってアルコールなしで食事だけの人も、つまみとお酒を飲む人もどちらもありっていう多様性があってそこに可能性を感じるんです。
あのコミュニティっていいですよね。
-岡根谷さんは外国の方におすすめの日本の食べ物を紹介することが多いと思うんですが、何がウケますか?
いつも海外に行く時は日本のお茶を何種類か持っていくんですけど、日本の緑茶って硬水だと黄色く出ちゃいますし、「生っぽい、草っぽい」って思われがちなんです。一方、ほうじ茶は気に入ってもらいやすいです。香ばしいし、紅茶にも似てるから。好きになってもらえると嬉しいんですよね。
-和菓子って海外に持っていくとウケないってよく聞くんですけどどうですか?
もちろん好きな人もいるんですけど、やっぱり私が大好きな豆大福なんてまずダメですね。餡子が「これチョコじゃないわけ?」ってなります(笑) 「豆が甘いの? なんでザラザラしてるの?」って思われるんです(笑)
-そうか、食感がなめらかじゃないですね。
そう。すごく甘いわけでもないし、すごい香りがあるわけでもないし、最近は特に日本の和菓子は甘さがひかえめだから、私がよく行くような“甘さがガツン”っていう国では、何なのかわかってもらえないことが多いんです。
-なるほど。そりゃそう感じそうですね。餅はどうなんですか?
雪見だいふくは好きな人は好きだし、カスタードやクリームの入った餅菓子は「モチ」という英語で認識されていて好きな人はいますよ。でも、この間白い角餅を持っていったらダメでしたね(笑) 私が“ライスケーキ”って辞書通りの英語で説明しちゃったのがいけなかったかもしれませんが。ケーキといっても甘くないですからね。
ちなみに“歌舞伎揚げ”はすごくウケるんです。「照り焼きのスナックだぜ!」って(笑) 日本の卵焼きとか、料理に砂糖を入れるっていうのも最初はすごく驚かれるんですけど、「食べてみたら美味しい」って言ってもらえて。
-外国の方の感想って面白いですね(笑) ちなみに岡根谷さんの好きな料理は何ですか?
名前のない料理なんですけど、キャベツを櫛形に切って、薄切り肉をペロッとのせて、マギーブイヨンで煮たやつが好きです。なぜこの料理かというと、「寒いなぁ」って思って帰ると、よく母がそれを作ってくれているからです。適当で、力が入ってない料理なんですけど、それが美味しいんです。
-あぁ、それは美味しいんでしょうね。お母さんが作ってくれた料理っていいですね。
この質問はみんなに聞いているのですが、最後の晩餐はどうしますか?
これ、何を食べたいかってことですか?
-その解釈は岡根谷さんにお任せします! 誰と食べるとか、どんな状況とか全部自由に決めていただいて構わないです。
じゃあ、お世話になった人たちに「ありがとうございました」ってお酌して回りたいですね。「あなたのおかげでインドに行けました。ありがとうございました!」って(笑)
-うわぁ。すごくいい話ですね。うわぁ……泣ける。
そんないい話ですか?(笑)
-これずっと岡根谷さんに聞きたかったことなんですが、日本の食を作る権限、例えば法律なんかを作れる権限が岡根谷さんに与えられたとしたら、どうしますか?
あ、全国民が週に1回カードを引いて、そのルールに従ってその食事をしなきゃいけないってします。例えばヴィーガンで食べるとか、全部輸入した食材を使って料理するとか。
-えぇ。それすごく面白いですね。例えばイスラムでとかですよね。
そうです。そこで何が起こるかわからないけど、少なくとも今までと違う食の体験をするといろんなことに気が付くじゃないですか。「あれ? イスラム教って無茶苦茶クリーンな肉を食べるってことじゃん!」とかいろいろ気が付くきっかけになりますよね。
-あぁ。やっぱり知る機会を作るっていうのが岡根谷さんの中ですごく大きいんですね。
そうかもしれないです!
-岡根谷さんのなかで「美味しい」って何だと思いますか?
美味しいは「記憶」だと思うんです。まず、美味しいって再現性のないものだと思います。100人が100人美味しいと思うポテトチップスとか、反論の余地のない美味しさももちろんありますよね。でも、誰と食べたとか、どういうシチュエーションで食べたとか、その連続性が「美味しい」と感じることに繋がると思います。例えば、海外で「これ美味しい!」と思って買ってきて日本に持って帰ってきたら全然美味しいと思えないってものありますよね。
-それはすごくありますね。
冷静になると全然美味しいと思えないもの。今日、その「美味しかったけど、美味しくないもの」を持ってきました(笑) インドのマウスフレッシュナーですね。インドカレー屋で食後に口に入れるやつの豪華版です。現地では美味しいと思ったけど、日本で食後に食べると全然って思うんです(笑)
-確かに……これ、美味しくないです(笑)
岡根谷さん、面白いお話をどうもありがとうございました。次はどこの国に旅立たれるんでしょうかね。これからも岡根谷さんが発信される情報、楽しみにしています!
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「いろんなグラスに、美味しい水を入れて……グイッと!」
岡根谷さんがとってもノリノリで撮影に参加してくださり(瞬発力!)、林さんがとっても楽しそうです(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
vol.7:世界の台所探検家 岡根谷実里さん
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