僕は渋谷でワインバーを25年間やっているのですが、1ヶ月だいたい500人くらいのお客様が来店してくれるんですね。延べ人数ですが、今まで15万人の方たちが僕のお店でお酒を飲んで、恋の話や仕事の話をして、僕が出すワインやおつまみを「美味しい!」って仰ってくれて、全員がすっかり酔っ払って帰っていくんです。
そのなかで、“この方はこれを美味しいと感じるのに、この方は美味しいと感じていない”、なんてことがどうしてもありまして、もう25年間毎日「美味しいって何だろう?」って考え続けているんです。それで今回、“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろきいてみることにしました。
第1回の記事に登場してくれるのは、LE CAFE DU BONBON(ル・カフェ・デュ・ボンボン)の久保田由希さん。僕のバーのメニューにガトーショコラがあるんですが、それを作ってくれている久保田さんをゲストにお迎えします。久保田さんのガトーショコラ、とても美味しいんですよ。
久保田由希(くぼた・ゆき)さん
製菓教室「LE CAFE DU BONBON」主宰。家具、キッチンのデザイン業を経て、ル・コルドン・ブルー東京校・パリ校にて製菓を学ぶ。帰国後、カフェ勤務などを経て2003年に独立。フランス伝統菓子に基づいた焼き菓子は、素朴ななかにもハッとするおいしさがあると評判、ヨーロッパ、とくにフランス国内を巡り、郷土菓子と現代の製菓との研究を続けている。
-今日はよろしくお願いします。はじめに久保田さんがお菓子をやろうと思ったきっかけを教えてもらっていいですか?
1990年代前半、インテリアデザイナーをやっていたんですけど、バブルがはじけてやめてしまったんです。
-久保田さん、僕と同い年だから、あのバブルがはじけた時を経験しているんですね。それで、どうされたんですか?
その時期、フードコーディネーターを名乗る人が出てきた頃で。 “そうか、「食」についてこういう仕事があるんだなぁ”って思って、味の素が運営するフードコーディネータースクールに入学し1年間通ってみたんです。24歳くらいのことかな。
-僕もその時期はバーをやろうかなぁって思って、レストランでウエイターやったり、バーテンダー修行をしたりした頃です。同時期の東京で、同じように「食」の仕事を考えていたって面白いですね。
当時、ちょうど代官山にル・コルドン・ブルーというパリに本校を持つ料理学校が出来たんです。ちゃんと人から学んだことないし、お菓子の基礎を学びたいなぁと思ってそこに通いました。アメリカとヨーロッパのお菓子を比較したとき、ヨーロッパのお菓子にすごく惹かれて。
-ル・コルドン・ブルー、今ではみんなの憧れですが、そんな早い時期に久保田さんは通われていたんですね。
その時期、音楽好きな友だちとフリーペーパーを作っていて、編集者・選曲家・DJでありながらカフェブームの火付け役ともなった橋本徹さんと知り合ったんです。私がル・コルドン・ブルーのパリ校にいたとき、橋本さんもフランス人歌手のクレモンティーヌさんのお仕事でパリに来ていて左岸のカフェで再会しましたね。その後、橋本さんがカフェ・アプレミディを作って、私はその手伝いをする名目ができたので帰国したんです(笑)
-橋本徹さんがここで登場するんですね。橋本さんがあの時代のカフェブームを発展させたと思うのですが、そこに久保田さんが関わっていたってことですね。
カフェ・アプレミディを辞めた後、橋本さんがパルコの地下でお店をやることになってそこに私が作ったお菓子を卸すことになりました。そのお菓子の横に、「お菓子教室やります」っていうフライヤーを置いたら生徒さんがたくさん来てくれるようになって、代々木上原にお店を借りたんです。
-当時はインターネットというものは全然普及してなかったから、そういうお洒落なお店にあるフライヤーを見てっていうのが一般的でしたよね。時代ですね。そろそろ“美味しい”の話に移ってみたいんですけど、そもそもフランス菓子って他の国のお菓子と比べてどんな特徴があるんですか?
フランス菓子って元はオーストリアから来たり、いろんな歴史があるんですが、基礎が“カチッ”と決まっているんです。どんなスーパーパティシエと言われるような人でも、その基礎にのっとって、新しいものが生まれている、フランス菓子にはそういう特徴があります。
-フランスってそういう基礎が強いですよね。僕のバーもフランスワインが中心ですけど、基礎があって、それを新しい作り手が発展させてっていうのが面白いんですよね。僕、フランスもパリも行ったことないんですけど、パリってやっぱりお洒落ですか?(笑)
まずパリのお菓子ってものすごく華やかなんです。でも地方に足を運ぶと、その原点である郷土菓子がある。華やかなお菓子も、原点となるシンプルな郷土菓子も知ったうえで、“私だったらどうするか”って考えながら作るのがフランス菓子の面白いところです。
-基礎の話でいうと、例えば“バゲットはこうじゃなきゃいけない”、とか決まりごととしてあるじゃないですか。フランスでは“ルールがある”というのが当たり前なんですか?
そうですね。例えば人参のサラダだと「レーズンやパセリは入れるけど、他のものは入れないよね」とか、ミルク入りコーヒーは、「午前中だとカフェオレだけど、午後はカフェクレームだ」とか、いろんなことが決まっています。もちろん午後に「カフェオレください」って注文したら出てくるんだけど、「それはカフェクレームだよ」っていちいち言われるんです(笑)
-ええ!? そんなことを外国人である日本人にも言うんですね。これはフランスの文化だから伝えなきゃって、「食」に関係しているフランス人がみんな意識しているんでしょうね。ちなみに「和菓子」ってパリではどんな風に捉えられているんですか?
結構流行っているみたいですよ(笑) 大福とかメロンパンとか。メロンパンは表面がカリカリして中がブリオッシュみたいでシットリしていて、というのがみんな大好きみたいです。
-メロンパン、フランスの方は好きなんですね。そういう美味しさみたいなのは国境や文化を越えて伝わるものなんですね。なんだか嬉しいです。久保田さんはフランスのいろんなお菓子を食べ歩いてるじゃないですか。その時にこのお菓子に何が入っている、このお菓子はこう作っている、というのはわかるものなんですか?
まず「これ美味しい!なんだこれは!?」って思ったら考えます。この食感は小麦粉のテクスチャーが違うとか、この甘さは砂糖の味が違うのかなとか、使っている材料もそうですが作り方についても考えるんです。
-訪れたお店で、“これって何を使っているんですか”って聞いてもいいんですか?
ヨーロッパの場合おそらく決まりごとで、プライスの下に原材料が全部書かれているんです。そしたら、 “あぁ、これは美味しそうだ”、というのが書かれている内容からわかりますし、“このシェフ、なんでこれとこれを組み合わせるんだろう”、とかも考えるんですね。私が仕事目線で見ている、というのもあると思いますが(笑) もちろん聞いたら教えてくれるときもあるし、「これは企業秘密だ」って言われるときもありますよ。なので、自分で食に関する情報を読み解くために、フランス語を勉強しました。
-なるほど。フランス語を学ぶと料理の名前や素材がよくわかるようになるって言いますよね。久保田さんが作るお菓子は、素材にすごくこだわりを感じるんですけど、例えば、砂糖を使うときってどうやって選んでいるんですか?
例えば沖縄の黒糖はミネラルがあったりネッチリしてたりするので、そのまま生地に出ますし、精製されている砂糖であれば無味無臭になるので、他の食材が引き立つんですね。その砂糖の個性を使いたいのか、それとも甘さだけを出せればいいのか、で使う砂糖が違います。
-そうかぁ。砂糖にも素材のテクスチャー的な面と、甘さだけとして使うっていう面とがあるんですね。奥深い。確かにワインもミネラル感やタンニンのようなテクスチャー的な面を前に出す味とか、甘さや酸味を前に出す味とか、いろいろ違いがあるんですよね。
-ところで久保田さんが、“これは美味しい!”と思った印象的な海外のお菓子ってありますか?
北イタリアのピエモンテ州にあるバーチ・ディ・ダーマ、「貴婦人のキス」という名前のクッキーがあるんですがそれはとても印象に残っています。北イタリアではどこにでもあって、チョコがはさまっている普通のクッキーなんですが、ピエモンテ州はヘーゼルナッツが採れる場所なので、アーモンドではなくてヘーゼルナッツを使っているんですね。
使っている素材を変えているだけなんですが、ヘーゼルナッツの風味が濃厚で、とっても美味しかったです。
-うわぁ。なんか聞いてるだけで口の中にヘーゼルナッツが広がって来ています(笑)他にはありますか?
あとは、パリで学校に通っていたとき、ピエール・エルメが自身のお店を出す前に、LADURÉE (ラデュレ)という超老舗のお菓子屋さんのシェフ・ド・パティシエに就いたばかりでした。お菓子は何を食べても美味しかったです。お店はクラシックで、組み合わせも想像もつかないものばかり。可愛くて、かつエレガントなお菓子が素敵でした。
-何を食べても美味しいってすごいですね。ほんとたまにそういうお店ってあります。あれって実は奇跡的なことなんですよね。ピエール・エルメのような人たちが活躍するのって、生まれつきのセンスだと思いますか?
絶対にそうです。あと経験値です。どれほど美味しいとか、どのくらいの種類の香りを知っているとか。でも食べて知っているだけじゃダメなんです。“食べて自分はそれをどう感じているか”、というイメージを膨らませ具現化できるかが大切。自分のフィルターを通してその感じた味をどう表現できるのかが必要ですね。“感じる”ってとても大切なことです。
-食べただけじゃダメ、知っているだけじゃダメ、それをどう感じているのかっていうのを言葉にしないとダメ、ってすごい言葉ですね。インターネットで、「ここで食べたよ」って写真をアップしているだけの人たちに、この久保田さんの言葉をぜひ伝えたいなと思いました。久保田さんがお菓子を作る時はどのように新しいメニューを考えているんですか?
まず季節感です。この季節には何が採れるのかとか、暑い・寒いときにはこういうものが食べたくなるとかを考えます。あとは行事。フランス菓子だとキリスト教にまつわる行事菓子があるので、そういうのを考えていくとあまりメニュー作りは迷わないです。
-季節感って大きいですよね。日本にはいろんな食材がありますしね。
-さて、この対談で皆さんにお聞きしたいと思っているのが“最後の晩餐に何を食べたいか”。久保田さんが最後の晩餐で食べたいものはなんですか?
私、新潟生まれでずっと魚沼のお米を食べていたので、新米とそうじゃない時の香りの違いとか、炊きたてとか、口に入れたときのつぶつぶ感の違いとかがわかるんです。なので、「炊きたてのご飯」か、あとは「焼きたてのバゲット」ですかね。焼きたてのバゲットって焼いたお餅の味がして美味しいんですよ。この2つは“どこで食べるか”でどちらかを選びたいと思います。
-ご飯とバゲットなんですね。僕、バーテンダーなので、お客さんと「あの新しいパン屋さんが美味しい」とか「このパン屋さんのこれが美味しい」っていう会話をよくするんです。
焼きたてであればバゲットはどこでも美味しいはずです。フランスや他のヨーロッパの国もそうですけど、街のなかにいくつかパン屋さんってあるじゃないですか。たしかに互いにライバル関係ではあるんですけど、ちゃんと持ち回りで土曜日はこのお店が開けておくとか、日曜日はこのお店が開けておくとかがあって。パン屋さんってそういうその街に根ざした存在なんです。
-凄くわかります。僕もブラジルに行っていたときに、ホームステイしていたお家の小学4年生の女の子と毎朝パン屋さんに朝ご飯を買いに行っていました。“その街に根差した存在”っていいですね。
久保田さん、ありがとうございました。「“美味しい”は食べて、感じて、言葉にしないとダメ」ってさすがにお菓子作りの現場に立っている人だなぁ、と思いました。知っているだけではダメで、感じないとダメですね。本当に。
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「さすがお菓子作りのプロ、言葉の重みにやられました~~~!」
カメラを向けるとファインティングポーズからはじまり、小ネタを披露してくれました(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
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