鎌倉に、café vivement dimanche(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ)という30年間も続いているお店があります。まだ日本にカフェブームが始まる前に開店した伝説的なカフェで、その後、店主の堀内隆志さんはフリーペーパーを発行されたり、ブラジル音楽にも傾倒しDJ活動やコンピレーションCDの選曲、執筆活動もされ、一時代を築きました。
“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろ聞いてみるこの連載、第4回のゲストは堀内さん。最近は水にも凝っているようですし、コーヒーにまつわるいろんなお話がうかがえそうです。
堀内隆志(ほりうち・たかし)さん
1994年にカフェを開き、2009年からは自ら焙煎も手掛ける。ブラジル音楽のCDプロデュースや選曲、FMヨコハマや湘南ビーチFMでレギュラーを持つなど、音楽にも造詣が深い。著書に『珈琲と雑貨と音楽と』(NHK出版)、『コーヒーを楽しむ。』(主婦と生活社)、『はじめてのコーヒー』(ミルブックス/庄野雄治との共著)がある。
-堀内さんがこのお店を始められた頃、“喫茶店”ではなくて、こういうお洒落なスタイルのカフェって全くなかったと思うんですが、どういう風に始められたんですか?
元々はサブカルチャー的なことに憧れて、アパレルで働いていたんです。本当はそこで広報的な仕事をやりたかったんですが、売り場に出ろと言われて、女子高生にスカートとかを売っていました。でも、やっぱり違うなって思って(笑) そんななかで、美術作家の永井宏さんが葉山でサンライトというギャラリーをやっているのを知って、「こういうのをやれたら良いな」と思ったことと、パリに行って「フランスのカフェっていいな」と思ったこと大きく影響しています。
周りの人たちは美大卒とかで何かを作る人たちが多かったんだけど、自分にはそういう才能はないなって思うなかで、だったら “人が集まれる場所”は作れるんじゃないかと思って、カフェをやることにしました。
-でも、こういうスタイルのカフェって当時は日本に1軒もなかったし、堀内さんはどこかで飲食店の修行をしたわけじゃないんですよね。
アパレルを辞めて、松濤のトルコ料理とロシア料理を出すお店で少しだけ働いたことはあったんですけど、飲食店の経験はそれだけですね。
-それでよくこんなお店を思いついたなぁと思うんですけど、例えばメニューなんかはどうやって決めたんですか?
日仏学院で知り合ったフードコーディネーターの人と、うちの母が調理師の免許を持っていて、それでフランスパンのサンドイッチとか、オムライスとかハヤシライスとかを出すことにしました。
-当時はエスプレッソマシーンを使われていましたよね。ああいうのって、日本にあったんですか?
コーヒー機器メーカーのカリタが輸入していたエスプレッソマシーンがあって、それを使ってました。
-当時、そういうエスプレッソマシーンを使ってコーヒーを出すこと自体が全然一般的ではなかったと思うんですが、使い方とか淹れ方ってそのメーカーの人に教えてもらったりしたんですか?
ちょっとは教えてくれたんですけど、ほとんどは自分たちで見よう見まねでやっていました。そもそもその当時は紅茶が流行っていて、コーヒーはそんなに飲まれてなかったんです。ちょっと前の時代の「美味しいコーヒーをどうぞ」みたいな看板のお店はあったんですけど、どっちかというと喫茶店はどんどん閉店していく時代でした。
-あぁ、アフタヌーン・ティーが全盛の時代ですよね。
下北沢のTっていうお店があってね。
-T! 行きました。すごくお洒落でしたよね。そんな時代に、このスタイルのカフェはすぐに受け入れられましたか?
最初はすごくヒマだったんです。全然お客さんが来なくって。鎌倉って今でこそ若い人が来る場所になりましたけど、当時は修学旅行生とお年を召した方たちだけで、こういうカフェってすごく珍しかったんです。
-じゃあお客様がたくさん来るようになったきっかけは、雑誌の『Hanako』で紹介されたり、編集者の岡本仁さんが作られたフリーペーパーで紹介されたりしてからですか?
そうですね。開店して1年くらいしてから『Hanako』で紹介されて、お客様がわっと増えたんですけど、雑誌の影響って一過性なので、少し経つとまた落ち着いてという感じでした。フリーペーパーの影響はそれとはまた別の流れで、今までとはタイプの違うお客様が来てくれるようになりましたね。やっぱり90年代後半のカフェブームですかね。ちょうどその頃、林さんが来てくれたんですよね。
-そうなんです。鎌倉にすごく良いカフェがあるっていうのは聞いていて。当時、もう東京でボサノヴァのバーを開店したいって思ってて、妻といろんな話題のお店を回っていた頃だったんです。僕、決してお店の人に話しかけたりしないんですけど、「このお店の人にだけは絶対話しかけよう」って思って。
その日は店内で、モアシル・サントス(ブラジルのボサノヴァ初期をささえた作曲家。その後、アメリカのブルーノートからアルバムを出すことになる)のアルバムをかけてたんでしったけ?
-はい、その前はジョアン・ジルベルトの「三月の水」をかけていて。「これは、このお店の店主と知り合いになろう!」ってすごく勇気を出して、堀内さんに話しかけました。
「ボサノヴァのバーを始めようと思ってるんです」って突然言われて、「えぇ!これは行かなきゃ」って思ってすぐに行きました。当時はいつも音楽プロデューサーの伊藤ゴローさんなんかが座ってて、あとサンクの保里正人さんとフリーペーパーなんかも作ってましたよね。この間、久しぶりに見つけました。
-ありがとうございます。堀内さんがフリーペーパーをやっているのを見て、すごく羨ましくて、真似して僕も伊藤ゴローさんと保里正人さんとフリーペーパーをやってみたんです。そういう時代でしたよね。
-その後、堀内さんはブラジル音楽にハマって、お店のメニューもブラジル料理のムケッカ(ブラジル風魚介のシチュー)なんかを出され始めましたが、そういう料理はお客様にすぐに受け入れられましたか?
ブラジルに行っていろいろ知らない料理を食べてみて、すごく美味しいし、ブラジル料理専門店以外では食べられないから、まずムケッカを出してみようって思ったんです。受け入れられるか不安な部分もありましたが、うちのお客様は新しくて知らない料理を楽しんで食べてくれるんです。
-お客様の方が、このディモンシュさんに来たら、そういう新しい料理の体験ができると思っていらっしゃる部分もあるんですね。その後、堀内さんは焙煎の方にも挑戦されるじゃないですか。あれが僕たち飲食業界の人間がすごく驚いたんです。堀内さんが通われた焙煎のセミナーの中には、かつてディモンシュに憧れて通っていた若い人がいたんですよね。
え? そんな人がいたんですか?
-あれ? 知らなかったんですね。ディモンシュの堀内さんといえば、こういうお洒落なカフェを日本で一番最初に始めた人なのに、そんな人が焙煎を習っていて、それでセミナーにも通っているんだ、ってすごく話題になりました。僕も「堀内さん、すごく有名で偉い人になっているのに、また一から勉強できるんだ……すごいなぁ」って思ったんです。
実はですね。2008年から2009年当時、すごく売上が落ちていて、自分たちの給料も出ないくらいまでになってたんです。当時僕は買い付けに行ったり、他にもCD屋さんや雑貨屋さんを始めたりして、僕が店頭に立たないことが増えていたんですね。そして東日本大震災があって、お店を立て直さなきゃいけないなって思って、それでコーヒーの焙煎をやってみようって思ったんです。
-それまでは、確か堀内さんがすごく尊敬する方の焙煎したコーヒー豆を仕入れてたんですよね。
はい。斎藤さんという方が焙煎したコーヒー豆に出会って、もうこれがまた僕のすごく好みの味で。コーヒー豆はこれって決めてたんですけど、斎藤さんが病気になって焙煎できなくなってしまって。じゃあこれは自分でやろうって決めました。焙煎のメソッドはある程度教えてもらっていたんですけど、斎藤さん、焙煎機を自分で改造していたりしてたみたいで、どうしても同じ味が再現できなかったんです。それで焙煎のセミナーに通おうと思いました。
-でも当時、堀内さんはカフェブームの頂点なわけだし、それでよく一から勉強しよう、自分よりも若い人たちが運営しているセミナーに通おう、と思いましたね。
林さん、新しいことを始めるときに一番邪魔なのはプライドなんです。
-うわぁ、すごく良い言葉が来ました。
本当にそうなんです。何か新しいことをやろう、美味しいことを追求しよう、と思ったらプライドは捨てなきゃダメなんです。それで、コーヒーの焙煎も自分で出来るようになって、お店にも出来るだけ立つようにして、そしたらコーヒー豆の卸しの話も出始めて、やっと今は忙しくするまでになりました。
-そうだったんですか。ディモンシュさんみたいなもう伝説のカフェだと、普通にずっと毎日が満席で忙しいんだと思っていたんですけど、そんな紆余曲折があったんですね。今もいろいろパフェとか新しいメニューが増えていますけど、ああいうのはどうやって考えているんですか?
料理の方は全部、嫁さんがやってるんですけど、嫁さんも、代官山の本格的なケーキ教室に通ったんです。それで基本的なことを学んで、今のパフェもいろんなバリエーションが出せるようになりました。
-奥さまもそういうところに通われたんですね。素晴らしいです。あと、堀内さんって今、お水にすごく凝ってるってSNSで見かけたんですけど、お水ってコーヒーにとって大きいんですか?
全然味も違いますよ。だいたいコーヒーは98~99%がお水なんで、影響はもちろんすごくあります。
-あ、そうか。言われてみればそうですね。飲み物としてコーヒーのほとんどの部分が水ですから影響はあるんですね。
なんでそもそも「水」に興味持ったかと言いますと、このビルの上に貯水槽があって、年に1回掃除を行っているんですね。ある年の掃除で薬が強すぎてしまったがゆえに、毎日淹れているコーヒーの味がすごく変わってしまったんです。それで水に興味を持って、ミネラルウォーターをボトルで買って試してみたり、PH値を気にしてみたりしたら、すごく味が違って。それが面白くてハマってしまったんです。
-なるほど。そんなことがあったんですか。
それからは名水ハンターになって(大爆笑)この辺だと秦野とか大山とか近いんで、汲みに行って家で楽しんでます。
-あれ? お店では使ってないんですか?
お店では秦野のお水はボトル詰めされたのを使っています。あちこちのアンテナショップに行っては、いろんな種類のお水を買って家に貯めてますよ。このお水はこの焙煎具合のコーヒー豆に合うとか、ペアリングがあるんです。
-なるほど。このお水にはこのコーヒー豆が、っていうペアリングがあるんですね。さすが堀内さん、そういうことを人よりも先によく思いつきますね。
いや、ただ興味があるからやっているだけで(笑) 面白いから、楽しいからやるんですよね。
-この辺で食にまつわる話を聞いていきたいのですが、好きな食べ物って何ですか?
中学生と一緒です。ハンバーグ、餃子、カレーですかね。
-そうなんですね。具体的にどこのお店が美味しい、とかありますか?
餃子は大船に「千里」っていうところがあって美味しいですね。仕事終わりに行きます。カレーは日吉にある「HI,HOW ARE YOU(ハイ、ハウアーユー)」っていうところのパキスタンカレーが好きですね。
-飲み物は何が好きですか?
やっぱりコーヒーが好きですね。特にブラジルとエチオピアが好きです。ブラジルだとミナスジェライスのナチュラル精製のブルボン種ですね。
-そういえば、コーヒーの生豆ってどうやって仕入れてるんですか?
輸入商社さんがいまして、そこに年間どのくらい必要なのかっていうのをオーダーして確保してもらうんです。
-自分では輸入できないものなんですか?
食品の場合、ダイレクトトレードは大変なんです。それは専門商社さんにお願いした方が良いんです。買い付けとかは自分で行くんですけどね。僕らみたいなロースターが何人かで行って、ワンコンテナにまとめてっていうのはやるんですけど、その後は商社さんにお任せして、倉庫で預かってもらいます。
-そういう仕組みになってるんですね。
-さて、これ全員に聞いてるんですけど、「美味しい」って何だと思いますか?
場数を踏まないと美味しいってわからない気もしますし、そのジャンルで有名な人が「これは美味しい」って言っても、自分では美味しいって思わないときも、もちろんすごくありますよね。だから難しい。でも、自分の「美味しい」を素直に言える世の中になって欲しいですね。
-さて、これもみんなに聞いているお決まりの質問ですが、最後の晩餐は何を食べたいですか?
美味しいコーヒーを僕は飲みたいですね。ブラジルのちょっと甘味のある深煎りのコーヒーを飲んで、「あぁ、美味しいなぁ。良い人生だったなぁ」って思いたいですね。
-いやぁ。泣けますね。ちなみに堀内さんが今、「なんでもいいから好きなお店をやっていいよ」って言われたらどうしますか?
僕もこのお店、あと10年やったら終わりかなぁって思ってます。ストレス的にも体力的にも。漠然と将来やりたいのは自分でもコーヒーを突き詰めたお店をやって終わりたいなって思いますね。こことは正反対のハイエンドなお店とかをやってみたいです。
-ハイエンドなお店。また違った雰囲気のお店も見てみたいですね。堀内さん、すごく面白いお話ありがとうございました。
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「堀内さんの淹れたてのコーヒー、本当においしいんですよね~~」
「伝説的なカフェのマスターにコーヒーを間近で淹れてもらえるなんて……」とドキドキの林さん(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
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