学芸大学駅から少し歩いたところにHÅN(ハン)というトルコやジョージア、リトアニア、モロッコといったいろんな国のローカルフードとナチュラル・ワイン、クラフト・ビールを扱っているお店があります。
ここは口尾ご夫妻が経営しているお店で、このお二人は僕のバーに開店当初から通ってくれていたというご縁もあります。口尾麻美さんは、料理研究家として活躍されていて、著書は現在20冊弱も出されています。(お店の料理はもちろんどれもが美味しい!)
“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろ聞いてみるこの連載、第6回は口尾さんに、どうやって各国料理と出会ってきたのか、そして彼女にとって美味しいって何なのか、たっぷり聞いてみました。
口尾麻美(くちお・あさみ)さん
料理研究家・フォトエッセイスト。旅で出会った食材や道具、ライフスタイルが料理のエッセンス。異国の家庭料理やストリートフード、食文化に魅せられ写真に収めている。道具好きで各国のキッチン道具を収集している。2022年、各国のローカルフードとお酒を楽しめるHÅNをOPEN。著書に「旅するリトアニア」「旅するキッチン 異国で出合った道具とレシピ」などがある。
-僕のバーに口尾夫妻はすごく昔から来てくれていますよね。もうどんどんご活躍されて、本もすごく出されていて。お二人はアパレル出身っていう印象がどうしても強いんですけど、麻美さんは最初からアパレルだったんですか?
親が公務員なんですけどとても厳しくて。最初は地元札幌で事務みたいな仕事をしてたんですけど、すごく嫌で、ある日全身に蕁麻疹が出てしまって(笑) どんな病院に行っても理由がわからなくて、その会社をやめたらそれが治ったんです。
-事務の仕事……たしかに麻美さんのお人柄を知っていると合わなそうですよね(笑) そんな嫌だったんですね。その後事務からアパレルへと移ったんですね。
服が元々すごく好きだったんで。札幌のお店で販売員をやってたんですけど、人事異動で東京に行くことになって、白金の路面店で芸能人とかたくさん来るようなお店で働くことになりました。お店のディスプレイとかも担当させてもらって、すごく楽しかったです。そこはヨーロッパの雑貨なんかも置いていたので、雑貨にも興味を持つきっかけになりました。
-麻美さんと他の料理研究家との違いに、料理周りの雑貨や食器を取り上げた記事が多いというのは、そういうところから始まったんですね。
はい。それでも販売員なんで、売り上げとか上司とか。そういうのが難しいなと思うことが多く、結局辞めてしまいました。
-麻美さん苦手そうですよね。僕もそうです。そういう人は自分で何かを始めるしかないですよね。その後はどうされたんですか?
小さい頃から料理やお菓子を作るのが好きだったんで、勉強したいなって思って、渋谷のイタリア料理店で少しの間働きました。小さいお店だったので基礎からいろいろと教えてもらって、すぐに色々任せてもらって。とても勉強になりました。
-やっぱりそういう本格的なところで基礎から学ぶっていう経験は大きいんですね。その後、料理研究家への道を歩むことになるんですよね。僕のバーのお客様でも、料理研究家になりたいとか、いつか本を出したいと思っている人ってすごくたくさんいるんですけど、みんながそう簡単になれるわけではないし、みんなが本を出せるわけでもないですよね。どうやってご自身で動いたんですか?
私も本を出せるようになるまでは4、5年はかかりましたよ。すごく長かったです。ケータリングをやって、料理教室をやって、夜はスナックで接客はしないけど料理だけを作るっていうことをやっていたりもしました。
-スナックで料理をやってたんですか!それは面白いですね。
60代くらいのママがいるお店で、毎日自由に作って良いって言ってくれたから、料理本を買いあさって、独学で毎日そのお店のお通しでいろんな料理を試作して出してました。それもいい経験になりましたね。
-毎日、お客様に食べてもらう料理を考えて作って出すって、すごく大きな経験ですね。僕も、毎日バーでお客様が「何を美味しいと感じているか」を考えて提供し続ける経験ってすごく大きいことだと思ってまして。そして、たぶん麻美さんの初めての著書は「タジン(モロッコで生まれた家庭料理)」を扱った本だったと思うんですけど、どうやって出版までたどり着けたんですか?
ライターさんと知り合って、単刀直入に「料理の本を出したい」って言ってみたのがきっかけです。
-それを積極的に伝えるのがすごいですね。
その当時はどうやったら本が出せるとか、情報がなかったですから。それでライターさんが家にやってきて、タジンがたくさんあるのを見て、「これって何ですか?」って聞くから「モロッコの鍋です」って言って。そしたら「これのレシピ本は出てますか?」って言われて、「出てないです」って答えたら、「それやりましょう!」ってなったんです(笑)
-麻美さん、その本を出版されたときってすごく売れて、テレビ出演もされてましたよね。僕も「うわぁ。すごい!」って遠くから眺めてました。その時から気になってたんですけど、タジンとはそもそもどうやって出会ったんですか?
夫が出張でモロッコに行って、お土産で小さいタジンを買ってきてくれたんです。それがすごく可愛くて、「これって何なの?」って聞いたら、「モロッコではこれが料理道具として使われている」って言って、それですごく興味を持ちました。その頃、ル・クレーゼやストウブがタジンを出していて、パリに行ってもモロッコのタジンを売ってて、買い集めてましたね。
-それはいつかこのタジンが仕事になるかな、って思って買ってたんですか?
全然思わなくて。私、収集癖があって、調理道具なんかも好きだからただタジンを集めてたんです。それで本を作ることになって初めてモロッコに行ったら普通に安く売っててびっくりしました(笑)
-あぁ。モロッコではそういうものなんですね。外国人が日本に来て、100円ショップで箸が普通に売っててびっくりして買いあさる、ってこの間お客様から聞いたんですけど、それに似てますね。
-ところで、ずっと気になってたんですけど、渡航費とか滞在費とかですごくお金がかかってしまいますよね。それって本を出しても赤字になってしまいませんか?
そんなの気にしてたら料理研究家にはなれないですよ(爆笑) 私の持論なんですけど有名な料理研究家の方々は元々お金持ちが多いです(爆笑)
-それは僕もそんな気がします(笑) その後、各国の料理の本をたくさん出すわけですけど、その経緯は?
元々ケータリングではお弁当で世界のいろんな料理を毎日楽しめる、っていうコンセプトで出していたんです。私が料理を始めた頃、料理研究家の上野万梨子先生とか同じく料理家のパトリス・ジュリアンさんとかが流行ってて、パリの異国料理っていうのに憧れてたんです。なのでパリが最初で、その後にいろいろな国に行ってみようっていう順番なんです。
-あぁ、なるほど。麻美さんの異国料理っていうのは、パリ経由だったんですね。そこからモロッコとかトルコとか、っていうかたちで繋がっているんですね。
モロッコって遠いですから。タジンの本ですけど、あれもライターさんに声をかけてから、たまたまアパレル時代の先輩がモロッコ雑貨の会社を始めていたのでその買い付けに一緒に連れて行ってもらって。アテンドしてもらったり、ちょうど日本の会社が安いタジンを発売するっていうタイミングがあったり、あの本の写真は全部私なんですけど、それもたまたま知り合ったフォトグラファーの先生に写真を習ったり、全部のタイミングがばっちり重なったんです。ほんとそれまでは、すごく長い道のりで。
-そうですかぁ。そんな簡単には本は作れないですよね。でも、そういう風に周りにいろんな人がいるっていうのも麻美さんらしいですよね。
-さて、僕バーをずっとやっているので、最近のお酒離れとか気になるのですが、麻美さんってお酒を飲まない国の料理も作ってますよね。でも麻美さんはすごくお酒が好きですよね。どう思いますか?
いつも思うんですけど、「お酒を飲まない国の料理ほど、お酒にあう料理だなぁ」って思うんです。特に中東の料理はスパイスとか、オリーブオイルとか、お肉とかを使うからお酒を飲みたくなりますね。
-彼らは食事の時は何を飲んでるんですか?
モロッコはジュースとかでしたね。でもトルコは政教分離なんでお酒を飲む人もたくさんいたし、ウズベキスタンはソ連だったからもっとお酒は飲んでましたね。ほんと国や人によって違いますね。
-お酒は国によって違うし、人それぞれなんですね。僕自身も日々バーテンダーやってて、人それぞれだなぁって思いますし、そうですよね(笑) このHÅNのお店の料理のことも聞きたいんですけど、やっぱり日本人の味覚に合わせてアレンジってされてるんですか?
まず現地で食べる料理でも、家庭やお店によって味が違うから、まずそれらを総合していいとこ取りの味にするようにしています。でもやっぱりどんなに現地風に作りたいと思っても、とにかく食材が違うから現地と同じ味にはどうしてもならないんです。
-そうなんですね。たしかに日本と海外では特に野菜の味が違うって聞きます。でも日本人の口に合うように、とかではなく現地の味をそのまま再現しようとされてるんですね。
難しさもあります。現地の味を元々知ってくれていて、「これってあの味だね!」ってわかってくれる人ならいいのですが、そもそも知らない人の方が多いですしね。「これは食材が違うからちょっと味が違う」って説明しても伝わらないですし。
-そうですか。確かに日本人が外国で和食を食べたら、これは食材がこっちでは手に入らないからこういう味にしているんだ、ってわかるけど、元々の味を知らない人にはわからなさそうですね。人によって反応が違って面白いですね。
-ちなみに麻美さんはお店で各国の料理を出されてますけど、「この国の料理を作ろう」とかはどうやって決めているんですか? やっぱり「誰もやってないものをやろう」っていうのがありますか?
それもありますね。イタリア料理は好きだけど、みんながやってるからやらない、っていうのはあります。でも私、日本でいろんな外国人がやっている料理教室によく行くんですよ。そこでいろんな国の人と出会っているというのも大きいです。
-えぇ? 料理教室に行くんですか。それはすごく面白いですね。例えばどういう教室に行くんですか?
ロシア人がやってる料理教室があって、そこにゲストでいろんな国の先生が来るんです。ウズベキスタンの人とか、ジョージアの人もそこで知り合って友だちになりました。その人たちが帰国する時に一緒に行って教えてもらったり、とか(笑)
-さすがですね。他の人とやってることが全然違いますね(笑)
そうですか?(爆笑)
あとリトアニアの料理に関しては、大使館の人がリトアニアの料理を作れる人を探しているっていう話をもらって、調べたらロシア料理と似てるから出来るかなって思っていろいろ資料を探したんだけどわからなくて。直接リトアニアの大使館に行ってみたら、大使夫人が教えてくれるっていうことになったんです(笑) だから全然知らなかった国が目の前に現れることもあるんですよ。
-これはもう、そういう場に飛び込んでいける麻美さんの性格が大きく影響していそうですね。各国のレシピの確認とかは基本的にインターネットですか?
今はネットに多くのレシピがありますけど昔は全然なくて、パリで各国の料理の本を買ってきたりとか、日本で洋書を扱っている本屋でレシピ本を買ったりとかしましたね。だから正しいレシピにたどり着くまでにすごく時間がかかりました。今は本当に楽になりましたよ。
-じゃあ毎日チェックしている情報源って何かありますか? 例えば話題になっているお店を調べたり、とか。
ないです。お洒落な話題の日本のお店とかはチェックしないです。夫はすごく好きですが、私は影響されないようにしています。
-そうなんですね。てっきり日本の情報も追っているのかと思っていました。
-さて僕、料理家の方に「何の食材が好きですか?」って聞くのが好きなんですけど、麻美さんは何が好きですか?
レモンかな。私の料理にレモンはかかせないんです。日本人ってレモンはあまり料理に使わないですよね。私はすごく好きで使います。皮の部分を香りづけに使ったりとか。モロッコはレモンが庭になっていて、それを保存しておくんです。スパイスは今、プルビベルっていうトルコの粗挽きの唐辛子が好きです。サラダとかにもかけると美味しいんですよ。
-すごく麻美さんらしい回答ですね。良いですね。では好きなスイーツは?
ん~~、干し柿かな。市田柿が好きです。
-柿ってジュースにしたら美味しくないですよね。なんだか加工した柿って微妙ですよね。
私も小さい頃柿をジュースにしたことあります。ちょっと違いますよね。でも干したら味が凝縮して美味しいです。
-干し柿って日本だけなんですか?
韓国にもありますし、ジョージアにもありますよ。
-えぇ! ジョージアにもあるんですか。
韓国は中にクルミをいれて、もみもみしてそれを輪切りにしてお茶菓子にします。
-へぇ~~。知りませんでした。ちなみに麻美さんの好きなお酒は何ですか?
今はジョージアのオレンジ(アンバー)ワインですね。あとチャチャっていうジョージアの蒸留酒が美味しいですよ。ジョージアはワインにまつわる話があって、いつか本にしたいなって思ってます。
-じゃあ好きな料理は?
食べるのが好きなのはラグマン。ウズベキスタンの羊のうどんです。食欲がなくても美味しいんです。作るのが好きなのはマントゥっていうトルコの小さい餃子です。小さくて、作っててすごく楽しいんです。小さければ小さいほど良いって言われてて、スプーンの上に48個のっているマントゥがあるらしいんですよ。それをいつか確かめに行きたいなって思ってます。
-じゃあ最後の晩餐は何を食べたいですか?
なんだろう……。ジョージアの野菜料理かな。野菜料理だけでもワインをたくさん飲めちゃうんです。
-ワインがすすむって、何か動物性のものは入ってないんですか?
野菜だけで。向こうはひまわりオイルを使うんですけど、ローストしたようなごま油のような風味があるのと、クルミをたくさん料理に使うんです。それがもうワインと相性がいいんですよ。それを再現しようと思っても日本ではなかなか出来ないんです。それを最後の晩餐で食べたいですね。
-これが最後の質問なんですけど、麻美さんは「美味しい」って何だと思いますか?
美味しいは難しいですよね。私自身も日々違っていますもん。自分の体調で感じ方がが変わることもありますから、全てのバランスが整ったときに「美味しい」は感じるものなのかなって思います。
-あぁ。全てのバランスが整ったときですか。なるほど。
でも答えになってないですね。たとえ美味しくない料理でも、すごく楽しい環境で食べたら美味しく感じるときってありますからね。
でも、美味しいと思って悲しくなることはないのかなって思います。
-すごい名言が出ましたね。「美味しいと思って、悲しくなることはない」。
私、昔、プロフィールに「美味しいは楽しい」って書いてました。楽しいと思いながら作ったら美味しくなるし、楽しくないなぁと思って作ると美味しくないです。
-うわぁ、いい話がたくさん聞けました。麻美さん、ありがとうございました。美味しいと思って悲しくなることは、たしかにないですね。
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「麻美さん、今日は楽しかったですね。野菜で乾杯っ!」
色とりどりの食材・食器と、たくさんの珍しい調理器具たち。まさに“魅せるキッチン”がとても素敵でした(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
今後も様々な「食のプロ」が登場予定!更新はアプリのプッシュ通知でお知らせしますので、是非通知ONにしてお待ちくださいませ♪