僕は1995年から下北沢のFairground Bar(フェアグラウンド バー)というところでバーテンダー修行を2年間しました。そのバーのオーナーである中村悌二さんから毎日ずっとバーカウンターの中でいろんなことを教えてもらい、今の僕があります。
中村さんは「なかむら」という自身の和食店を成功させた後、国内外の飲食店のプロデュースを200軒以上手がけ、飲食業界では知らない人はいないくらいの一時代を築いた人です。
“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろ聞いてみるこの連載、第5回のゲストは僕が大変お世話になった中村さんに、美味しいって何なのかを聞いてみます。(中村さんが僕のお店にきてくださるなんて、緊張しちゃいます……)
中村悌二(なかむら・ていじ)さん
株式会社カゲン 代表取締役。アパレル業界から飲食業に転身し1998年に「フェアグランド」(バー)を下北沢に開店。 以降、「なかむら」「KAN」「山都」「KAN」(全て和食)を経営している。
-ようこそ中村さん。今日はよろしくお願いします。中村さんはフェアグラウンドを始める前にアパレルで働いていましたよね。バーをやろうと思ったきっかけを教えてもらってもいいでしょうか。
アパレルってまず流行の移り変わりがすごく早いじゃない。あとお店でお客さんと接してもその瞬間だけでほとんどが終わりでしょ。それに比べて飲食店だとお客さんが目の前にいて「美味しい」って言ってくれるからすごく密度が濃い。その頃に知り合った飲食業の人たちがそんな話をしているのが僕にはとっても生き生きして見えて、それで飲食店をやろうと思ったんだよね。
-その気持ちはすごくわかります。飲食店の方がアパレルに比べてお客様との関係性が濃密ですよね。中村さんが最初に始めたのはバーですがどうしてバーだったんですか?
いろんなお店で2年間くらい修行をしたんだけど、最後の「春秋」というバーで働いたときに、「これだったら自分でも小さい箱で回して成功できるかもしれない」って思ってバーを始めた。そもそも自分は料理人ではないしね。
-僕もそうですが、バーはお店を用意して、お酒を用意したらまず始められるっていうのが一番大きいですよね。でもその後は和食屋さんを何軒も経営されてますが、やっぱり料理を出したかったんですか?
当時はイタリアンとか世間ですごく流行ってたけど、会津出身というのもあって、自分はお茶とかお花の方に興味があって。やっぱり「日本人として何かを継続的にずっとやっていこう」って思ったときに、もうやるのは「和」しかないって決めたの。
-和食屋として一軒目の「なかむら」を出店されましたけど、ジャズが流れてて大きいカウンターがあって、日本酒があって、でも若い人もギリギリ出せる金額で……、っていうお店じゃないですか。ああいうお店ってその当時はどこにもなかったと思うんですけどどうやって思いついたんですか?
まず経営者である前に、“自分が行きたいお店はどういうお店なのか”っていうのを徹底的に考えた。
-でも、あのお店、若い僕でもギリギリ払えた金額で、正直もっと高い金額設定にすることもできたと思うんですが。
確かはじめに客単価は6000円にしようって考えたのかな。客単価ってすごく大きいと思っていて。間口は広くていろんな人に来て欲しいけど、看板は出さないし、すごくわかりにくくて入りにくいお店にしようと思った。
-中村さんって、そういうお客様がどう感じるかっていう視点がすごいですよね。今もご自身で新しいお店をチェックしてると思うんですけど、メディアは何をチェックしてますか?
今いろんな人たちと一緒に仕事してるじゃない。そういう人たちが実際に行って、感じて、良いお店だったっていう情報を一番信頼している。お店に関してメディアは一切見ない。メディアを見るのは、料理をチェックするときだけ。こういう盛り付けをしてるんだ、とか、この食材の組み合わせは面白いなぁ、とかの情報だけメディアから。
-なるほど。やっぱり毎日飲食店のプロデュースとかで現場のいろんな人たちと会ってるからこそ、近くにいる人たちからの情報が一番大きいんですね。飲食店のプロデュース業ってどういう仕組みでどういう風に儲かるようになってるんですか?
プロデュース業って2つあって。ひとつは業務委託で、「これをお願いします」っていう契約書をまず交わして、コンセプトメイクとかグラフィックデザインとか料理とかをズラーッと提案して、それに対してお金をもらうっていうもの。もうひとつは最近やっているんだけど、本当に信頼のあるオーナーと一緒に組んで、お店やメニューをどうやって作り上げていけばいいお店になるかな、っていうのを一緒に考えるというもの。この場合は売り上げの1%もらう約束にしている。
-え? 1%で中村さん的には大丈夫なんですか? 少なくないですか?
全く少なくないよ。
-オーナー側としてはどうなんですか?
さっき言った1つ目のプロデュース業(業務委託)ってやりっぱなしなの。お店をオープンしたら終わり。だけどお店ってオープンしてからが大事じゃない。実際に運営してみたら料理が、とかオペレーションが、とか。だったら開店した後もそのまま関わり続けた方が良い。開店後のミーティングも出るし、メニューもチェックしてる。そうした方がそのオーナーも僕もwin-winでずっと良い関係を築けるんだよね。
あるいは大手の商業施設みたいなところはまた別の方式で、「設計とかも含めたプロデュース費としていくらでお願いします」って依頼されるんだよね。それで設計事務所とうちとで半分ずつ分ける感じ。
-大手の商業施設とかはそういう依頼の仕方になってるんですね。そういう大きい会社って中村さんみたいな人の話をわかってくれるんですか?
大きい会社であればあるほど、自分みたいな小さくて面白いDNAを欲しがってるんだよ。大手同士だとお互い遠慮がちでスパークしない。社風も決まってるから新しいものが生み出せない。だから大きい会社から声がかかる。
-関係者も多そうですけどやってて大変じゃないですか? いろんな人いますよね。
全然。嫌な人とは仕事はしないから大丈夫。
-まぁそれが一番といえばそうですが……、相手や仕事を選べる中村さんがすごいですけどね。海外でお店をプロデュースするとき、現地の人たちの味の好みってどういう風に考えているんですか?
海外でお店をプロデュースする場合は、“マーケティングが既に出来上がっていて、こんなことをやれば流行る”っていうのを依頼主たちが既にわかっているっていうのが条件。だってミラノで何が流行るか僕はわからないから。
-じゃあ依頼主が求める味を中村さんたちが用意するんですね。
そう。例えば相手がイタリア人だと、一応試作を作って食べてもらって、「これで美味しいですか」っていうのを確認してもらう。それを何度か繰り返してメニューを作り上げていく。“美味しい”と判断するかどうかは相手に委ねるって感じだね。
-そういう風にしてるんですね。向こうで手に入らない食材とかはどうするんですか?
どこの国に行っても、調達に苦戦するのは調味料。だからその国に行ったら、真っ先にスーパーや市場に行って、食材や調味料をチェックする。日本でレシピ決めていっても、調味料の味が違うから。まぁ僕はそのレシピや料理を作ってるわけじゃないんだけどね(笑)
-(笑) 中村さん、いつもシャイだからこういう風に、「自分は料理はやってない。自分は最後のところをチェックしてるだけ」って言うんですけど、それが羨ましいんですよね。僕も最後のところだけチェックする人間になりたいです。
あのね、“僕が最後のところだけをチェックする”ってやっているのは、僕が自分の会社の料理人たちを信頼しているから。僕がすごく細かくて、うるさい人間だってみんながわかってくれているから成り立つの。要は社内にいろんな役割を持った人たちがいてくれているからなんだよね。
-どういう風に人間関係を築いていったらそうやって働いてくれるんでしょうか。人間関係を築くコツってありますか?
そんなコツがあったら教えて欲しいよ(笑)
-いやいや(笑) 例えば僕もいろんな場所で「中村ファミリー出身なんですか」ってずっと言われるし、僕も中村さんの下で働いていたということを誇りにしているし、中村さんって一時代を築き上げた人だと思うんですけど、それってどうして出来たと思いますか?
僕がやっていることはいわば人事なの。この人はこれが得意だからここで働いてもらおうとか、この人は料理が出来るようになったからそろそろ料理長にしようとか。それって何かっていうと、“人付き合い”なの。
そもそも自分が根本的にすごく人が好きなんだと思う。自分で思うけどすごく人たらしだから。人たらしって良い言葉だよね。
-そうなんですよね。中村さんって人が好きで人たらしな人なんですよね。
今、飲食店の働き方とかいろいろ言われてますけど、どう思われていますか?
まだまだグレーな状態なんだけど、「飲食業界全体を良い職場環境にしたい」っていうのは死ぬほど思ってる。今まではうちの会社を辞めてから独立開業するケースが多かったけど、今はそういう志がある人にはうちの中で独立して会社をもって売上1000万以上を目指すっていうのをやってもらってる。
-そうなんですね。僕、バーだけを1店舗ずっとやってますけど、たまに「お酒ってもうダメなのかな」って悩むんですよね。お酒を軸にした飲食店ってこれからどうなると思いますか?
お酒って嗜好品だから、マーケットとしては小さくなっても、存在する価値は残り続けると思うけどね。「アルコールに頼らない事業を何か考えなきゃな」っていうのは、前より圧倒的に考えるようにはなったけど。でも、お酒って人と人の間に入って深く繋いでくれるじゃない。昔はそれで大喧嘩もしたじゃない。
-そんなこともありましたね。
人と人の間に入って繋いでくれるものってお酒以外にあまりない気がするんだよね。
-そうなんですよね。ところで僕、最近の飲食業界の流行がわからなくなってきてるんです。もうこのバーもどうやっていけばいいのかわからなくて。中村さんもそういうこと考えたりしますか?
何が流行るか流行らないか、っていうのをそもそも考えない。最低10年、できれば20年30年続くようなレストランを作りたい。コロナや震災があっても続く会社にしたいから、そういう流行には一喜一憂しない。
-なるほど。10年、20年と続くお店をやろうと思ってるから、今流行ってることは気にしないんですね。
全く興味ない。でも今、うちの社員に寿司をやらせてるんだけど、寿司は海外でも通用するし、トレンドじゃなくて普遍的なものになると思ってるんだよね。あんなに狭い作業場で酢飯にネタをのせるだけで、高いと一貫2000円、3貫で6000円、ってすごいことだと思う。そういうことにはすごく興味がある。
-普遍的になりそうなことは興味あるんですね。
トレンドとかこういうのが流行りそうとかは本当に興味ない。トレンドばっかり追いかけてる人は目の前のことしか見えてないから。そうじゃなくて、長期的な目線で普遍的なものに興味がある。
-いやぁ、僕もそういう風に考えます。ついつい、このワインが今は流行ってるからなぁ、とかって追いかけちゃうんですよね。
-中村さん。ここで、唐突なんですけど、中村さんの好きな食べ物を聞いていいですか?
下北沢で「なかむら」をやってたときに、料理人に辞めてもらって、社員1人と妻と3人でリセットしてやり直すことになったじゃない。そのとき、新しいメニューを考える時に“自分は何が好きなのか”ってすごく考えて、コロッケをやることにしたのね。だから好きな食べ物はコロッケ。自分が本当に好きなのは何なのか、って問い続けることってすごく大事だと思う。
-コロッケ、美味しいですよね。他に何かありますか?
かき揚げ蕎麦。「吉そば」が美味い。
-「吉そば」は目の前で揚げてますよね。他にどこか好きな蕎麦屋さんありますか?
僕は立ち食いそばのかき揚げ蕎麦が好きなの。でも最近どこもなくなってきちゃったんだよね。だったら僕が立ち食いそばの価値観を変えたいなぁ、って思って、最近は品川駅の一番いいところで1500円の立ち食いそばをやりたいと思ってる。
-良いですよね。実は僕も最近は立ち食いそばではなくて普通の蕎麦屋さんしか行ってなくて。品川駅の1500円の立ち食いそば、いいですねぇ。行ってみたいです。
さて、これみなさんに聞いてるんですけど、中村さんは「美味しい」って何だと思いますか?
まず人間として、本能で感じる美味しさ。飲料水のCMで自転車こいで水をガガガッて飲むじゃない。あれは美味しいだろうなぁって思う。人間が本能的に求めていて、ダイレクトに美味しいさが伝わってくる。
-あぁ、スポーツの後の水って美味しいですもんね。
もうひとつは本能的に感じる美味しさじゃなくて、お婆ちゃんが一生懸命おにぎりを作ってくれるとか、手間暇かけて気持ちが込められているとか、そういう“気持ち”とセットで感じる「美味しい」だと思う。うちの妻が作ってくれる朝食が美味しいのも温かさとか気持ちを感じるからだと思う。あと長い期間熟成したウイスキーも美味しいから、手間がかかっている=時間って大きいのかも。
-確かにワインもそうだし時間って美味しいと関係ありますね。
あとはね、朝納豆食べたあとでコロッケ食べると、口の中のねばりが増すんだよね。何かと何かが組み合わさったときの“バチーン”ってスパークする美味しさっていうのもある。組み合わせかな。卵焼きに明太子とかね。
-ありますね。驚きの美味しさかもしれないですね。
そういうのって楽しいんだよね。そういう楽しさも「美味しい」の1つだと思う。
-楽しいって美味しいですよね。
さて、これもみんなに聞いてるんですけど、中村さんは最後の晩餐に何が食べたいですか?
鰻。
-え? 鰻なんですか? 知りませんでした(笑)
うな重ってほんと美味しいよ。だって寿司とか食べても、“うわーっ”てほどには美味しくないじゃない。あ、このお店の裏手にも鰻屋あったよね。
-あぁ、ありますね。昔からあるお店です。
うな丼が2500円で、うな玉が1480円だった。あとで食べに行こうかなって思って。
-チェックしてたんですね(笑)
あと最後の晩餐でいうとあれだね、最後はひとりで食べたいね。あるいは『幸福の黄色いハンカチ』で高倉健さんが出所して初めて飲むビールのシーンみたいなやつね。やっぱりお酒で美味しいって思うのってビールしかない。ビールは最後に飲みたいね。
中村さん、面白いお話をありがとうございました。東京の飲食店の流行を作ってきた人が、全然流行に興味ない、というのが面白いですね。僕もそういう風に考えなきゃなって思いました。
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「中村さんと肩を並べて写真を撮るなんて……!なんだかくすぐったいですね」
大変お世話になった方がお店に来るということで、この日の林さんはいつになく“ソワソワソワソワ”していました(でもとってもお2人とも楽しそうでした笑)(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
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